ひとりごと

アラサーOLが、考えたこと、見たもの、食べたものなどを淡々と綴るつまらない日記です

運と努力と実力

Twitterで、「大企業勤めで平均以上の給料もらってる友人ほど、自分は大した能力もないから努力で今の地位を勝ち取ったと思っていて、先行き不安も強い」というつぶやきを見て、まんま20代中盤くらいまでの自分だな〜って思った。

 

特に中学生くらいまで、やったら出来ることをやりもしないで、例えば私のテストの点がいいことを「羨ましい」と言う人たちのことが本当に嫌いだった。

でも今思うと、やっても出来なかったんだと思う。苦手なことを自分の出来る最大限まで頑張るということは、とても難しい。人はやりがいを感じないと頑張れない生き物だから。

 

あと、もちろん運も良かったと思う。

実家はお金持ちではなかったけど、貧乏でもなくて(当時では珍しいフルタイム共働きの両親だったからだと思う)、塾に行くとか、教材を買うとか、そういったことでお金がないから出来ないと言われたことはなかった。

一人っ子でも公立に行って欲しいなぁとは言われたけど、大学まで特に教育周りでお金がないから諦めたことはなかった。留学とか、私立の中高一貫校に行くとか、明らかにオーバーなことにはお金を出してもらえなくても、進学自体を諦めるとかそういう懸念は一切なかった。

世の中、そういう意味で勉強が出来ない子、行っても学費などを全て自分で賄う必要がある子などは本当にたくさんいて、そういう意味で運が良かったと思う。

 

でも、そういう運の良さや自分の相対的な能力の高さを、全部自分の努力によるものだと思い込んでしまう気持ちは分かる。

だって、事実明らかに自分は周りの人間より頑張ってきたから。周りが遊んでる間、自分はずっと勉強してた。中学3年生の夏休み、勉強もするけど遊びも楽しむ人が多い中、自分は午前中部活で泳いで、昼から夜まで塾で勉強して、深夜も自宅で勉強してた。部活がない日は1日15時間勉強していた。夏が終わっても学校と部活以外は全部勉強していた。周りがそれをやっていたかと言えば、やっていなかった。

なんでそうまで出来たかというと、絶対に中学の同級生と同じような人生を送りたくなかったから。水道を止められる家の子、妊娠する子、いじめる子、いじめられて死ぬ子、そういうのを目の当たりにしてきて、勉強によってしか自分の力でここから抜け出すことはできないと悟ったから。

 

でも、それだってやったら結果が出るからやれただけなんだと思う。周りより努力したことは事実なのだとしても、私には勉強の才能が多少あって、強い動機づけがあったから出来たことであって、全員にそれがあるわけじゃない。

 

だからさ、お前には努力が足りないって外野が言うのは本当に簡単なことだしある種事実なんだけど、努力してもどうにもならないことや、なんのために頑張っているのか分からないこともあるんだよな。

成功者がみんな努力してるのはそうなんだけど、努力した人間がみんな成功できるわけじゃない。同じだけ頑張って、150の成果を出せる人間と50しか出せない人間がいるのよ。50出せればまだいいけど、10とか20の人もいるし、なんならもしかしたら0の可能性だってあるのよ。それが生まれ持った能力ってやつの差なんだよね。

 

努力してないから、運が良くないから(親ガチャという言葉もこの言い訳のために生まれている)、人種が性別が環境がetc…というのは人の精神の逃げ道なんだと思う。自分が価値ある人間だと信じるために、そういう逃げ道が必要なんだと思う。