中学生の時ずっと言ってました。男になりたいって。
自分はLGBTsではありませんが、社会が求める女というものや仕組みに心底辟易していたんですね。
まず痴漢にあいますよね。もちろん全ての男性が痴漢にあわないとは言いませんが、性犯罪の大半は女性が被害者側なのは事実で、実際私も被害を受けました。
しかしそれ以上にキツかったのは、「頭は良くなくてもいいけど、女の子なら家事は得意(好き)でおしとやかじゃなきゃいけない」という個性ガン無視の社会的な呪縛。
これ、本当にあるんですよ。1990年代の少女漫画とか読むと露骨なので機会があったら読んでみてください。
バクマンという漫画は割と最近の漫画ですが、
「本当に賢い女は、勉強などが出来すぎても可愛くないのを分かっているから中くらいでやるし従順だ(意訳)」って言ってますからね。
すでに自己を確立している人が読んだらなんだこいつって思うだけで終わりでしょうが、世の中には「そうなんだ!これが本当に賢い女なんだ!」って信じちゃう人もいるし、ましてや読者はまだ人間できかけの中高生です。こうやって歪んだ価値観が刷り込まれていくんだなと思いました。
ちなみにバクマン自体は面白い漫画なんですけどね。普通に楽しく読んでいた中でこの台詞が出てきたときはさすがにびっくりしました。
まあ、この漫画が出た時はまだ社会的にそういう風潮があったというか許されていた時代だったのは確かです。時代が変わったということでしょう。
自分は勉強やスポーツは出来る方だけど、家事はまったく好きではない主張の強い子どもだったので、こう言われ続けることが苦痛でした。
当時は男ならこんなことは言われず褒められる社会だったからです。
今では男の人も家事は出来た方がいいねという風潮ですが、少なくとも15年くらい前までは専業主婦のお母さんと大黒柱のお父さんが当たり前の家庭のモデルだったので、その子どもたちも当然同じように生きるものとして育てられていたのです。
だから、女の子は成績は大して重要じゃなくて(むしろ男の自信をなくさせるから中間くらいが一番とっつきやすくてモテる)、それよりも家庭的かどうかが重視されていました。
男と女の子どもがいて1人しか大学に行かせられないとしたら年齢や成績に関係なく男の子どもを優先するとか、男女のきょうだいがいたら男は門限なしだけど女はあるとか、女の子だけ家事の手伝いをするとか、そういうのがあって然るべきな時代でした。
でも本当に過渡期だったんでしょうね。たった15年で、そういうのっておかしくない?という風潮になってきたことはすごいことだと思います。
そして私も気付きました。自分は女であることが嫌だったんじゃなくて、社会が女はこうあるべきと押し付けてくる、個性ガン無視の役割観が嫌だったんだと。
女であることを楽しんでいいんだと。
それから、生きるのが少しだけ楽になりました。
今まで社会が当然のように押し付けてきた役割を拒否していいのだと分かってから。
私は、女であることで得したいとは思っていません。デートで奢ってもらいたいと思ってませんし、夫に養ってもらわなくていいし、別にレディースデイなんか全撤廃でも構いません。
ただ、私に女という役割を押し付けないでほしい。私は私という人間で、それ以上でもそれ以下でもないのだと理解してほしい。
役割なんてものは個人と個人の関係性で決めるものであって、社会が性別を理由に押し付けるものであって欲しくないんです。