ひとりごと

アラサーOLが、考えたこと、見たもの、食べたものなどを淡々と綴るつまらない日記です

子どもを持つ選択、持たない選択を考える

大前提として、私は未婚であり子どもがいません。

そして、32歳ですので、色々覚悟を決めないといけない年齢に差し掛かっています。

 

最近子どもを持つ選択、持たない選択についてよく考えるんだけど、結論子どもを持つことや子育てをすることは動物としての本能である一方で、文化が発達した人間においてはお金が有り余ってる人の道楽なんじゃないかと思う。

 

何を言っても独身の戯言ということで聞き流してくださいね。

私は今年収が750〜800万円程度あって、彼氏も(明確に聞いたことはないけど勤め先や役職に鑑みると)同じ程度は収入があるはずなんですよね。

なので、仮に結婚したら一般的に世帯年収には余裕があるはずなんだけど…少なくとも私は自分の生活を自分で支えるのに精一杯なんだよね。

もちろん、それなりに贅沢をしている自覚はあります。ハイブランドで買い物すること、ジュエリーを買うこと、世界中旅行に行くこと、一人暮らしをすること、外食をすること、そういう全てやりたいことをやると、貯金以外のお金余らないんですよ。

もちろん、子どもが産まれたら何かを我慢することになるでしょう。まあ多分買い物から削られていくだろうな。場合によっては旅行は旅先が限られる、食べたいものを我慢して安いものを選ぶ、そういうことも出てくるでしょう。

自分はそういう、犠牲とは言わないまでもコストを払って、自分にとって子どもが幸福感を与えてくれる存在になるようにはどうしても思えないんですよね。

 

お金が有り余ってるならいいと思うんですよ。

欲しいものは全部買って、暇で仕方がないなら、子ども産むべきですよ。あとは人生の目標というか楽しさ、意味みたいなものを見出せない人は生きがいになるでしょう。

でも欲しいものがたくさんあって、時間も足りなくて、ひとりでも楽しい人間は、子どもがいたら失うものが大きすぎるんじゃないかと思うんですよね…

もちろん、子供を持った幸福というのは形容できないでしょうし何かと比較できるものではないとも思っています。

でも、人って自分が払った犠牲を価値に転嫁しようとするところがあるんですよ。こんなにいろいろなコストを払ったのだから、これには価値があるはずだと信じたい。私もそうだもの。高いお金を出して買ったものには特別価値を見出そうとする。人間に対して当てはめるのは倫理的ではないかもしれないけど、同じことだと思います。

はっきり言って、子どもも千差万別ですよ。素晴らしい能力を持った子もいれば、生来しょうもない子もいる。前者であれば払ったコストに見合うでしょう。でも後者は?

特別な人間なんて本当に一握りなんです。世の中、99.9999999%以上、大したことない人間で出来てる。私も含めてね。そういう大したことない人間を生み出すために、人生の大半というコストを払う余裕は果たして私にあるのだろうかと、考えるわけです。

 

でも、それでも子どもを産む人が多いのは、やはり本能なんだろうな。メリデメで考えたら明らかにやらない方がいい、ビジネス的にはリスクばかり大きいことでも、子どもとなると度外視してしまうのは、たぶん子どもを産み育てることが人間の本能だからなんだと思います。

 

私は幸い、周りの人間にいくらギャーギャー言われようとそこまで気にしいではないので、自分のやりたくないことはやらないを突き通せています。

そういう中で、本当に子どもを持つ選択をすべきなのか、今一度ちゃんと考えたい。