ひとりごと

アラサーOLが、考えたこと、見たもの、食べたものなどを淡々と綴るつまらない日記です

他人に埋めてもらう穴がない

今日友達と話してて妙に納得してしまったことの話。

 

私、自分にある程度満足してるんですよね。

それは別に私があれもこれも出来るからとか、収入がいくらだからとかそういう定量的な話ではなくて、お腹がすいた時に食べたいものを食べれて、行きたいところに行けて、欲しいものを買える、嫌いな人と離れて好きな人と遊べる、それ以外に必要なことってあるかなぁという感覚。

承認欲求がビジネスになる世界ですから、他人からの評価っておそらく多くの人にとって人生の重要なファクターなんだけど、私にとっては「私が」自分の仕事に満足したか、「私が」面白いと思うか、そういうところが大事なのであって、他人からの評価をあまり必要としていないんですよね。無意識下含めて多少はあるかもしれないけど。

 

という話と、前にブログに書いた気がしますが、私が恋愛にあまり興味がないというかだれか特定の1人を特別に愛せないことについて、友達が

「自分に満足してる人は、他人に埋めてもらう穴がないから、(恋)愛が必要無いんじゃない」

と。

 

その通りだと思いました。いや、分からないですよ。愛って色々あるし、私の愛はそういうんじゃないという人もたくさんいるとは思うんですけど。

でも、多くの人にとって、自分では埋められない穴があって、その穴を埋めてもらう代わりに自分も何かを差し出して、そうやって補い合う関係を恋愛ないし愛と呼ぶのでは、と。

 

私にとって他人って常にアドオンなんですよ。自分で独立して存在できる土壌があって、そこに対していいものをアドオンしていったらさらに楽しいよねという感覚。どこまでいっても穴があるわけじゃないから、必要不可欠な要素ではないんです。

私は男女問わず友達が多い方かなと思うけれども、みんな私のそういう依存の無さというか安定しているところに価値を見出しているんじゃないかな。私の穴を埋めるために自分も何かを差し出さなくていいわけだから。私って、おそらく多くの人にとってデメリットがない存在なんですよ。だからといって特別なメリットもないんですけど。

 

そうやって考えてみると、私が恋愛を解るためには不足が必要なわけで、不足するということは不安定になるということで、わざわざ恋愛のために不安定になる必要もないよねと思ってしまって、結論このまま人生がうまくいけば行くほど一生恋愛感情をあまり理解しないまま死にゆくのでは?ということに気付いてしまいました。

 

嬉しいんだか悲しいんだか…。