あけましておめでとうございます!
年末年始、いろんな人から結婚報告があったり、子供がいる友達と忘年会したりして改めて考えた。
自分、結婚したいのかな?
正直、結婚するって聞いても羨ましさはない。家に人がいるのってシンプルに嫌だなと思う。それに、私は家事(特に掃除)が好きじゃないから、私と結婚したい男性もそんなにいないだろうし。
あと、子どもも良いなーと思うことがほとんどない。ホヤホヤの赤ちゃんは可愛いなと思うけど、2〜3歳以上の子どもの可愛さは分からない。中学生以上ならまだ可愛さというか人間としての面白さがあるなと思うけど…
こんな気持ちで、結婚相手を探したり、子どもを産むのは抵抗があるなって思った。
でも、実は12月に婦人科系の腹腔鏡手術を受けて、手術を受ける時って親族の連絡先とか付き添いとかが必要なんだけど、親が死んだらきょうだいもいない自分はいよいよひとりなんだな〜と実感した。
で、そこに寂しさはあまり感じなかったけれども、私は親も死んでいるであろう2〜30年後、なにを目的に生きるのかなって想像したら、何にもなかった。
旅行で行きたいところとか、欲しいものとか、読みたい本とかはいくらでも出てくるけれども、それは生きがいというよりかは生きているならそれをしたいという種のもので、正直に言って、明日ぽっくり死ねたら結構良いな〜と思う。何か辛いことがあるとかいうわけではないから、積極的に死にたいとは全く思わないけど、もう死んでもあんまり後悔とかない気がする。
そんな自分を顧みて、たぶん、愛する人がいないから生きたいという気持ちがないのかなと思った。
親はもちろん愛しているけれども、自分で選んだ愛じゃない。子どもとか、夫とか、自分で選んだ愛は、生きる原動力になる…んじゃないかな?
でも、男の人に対して、この人を愛しているなぁと思ったことなんか、33年間も生きてきたのに、今までで一度もない。
唯一、4年間付き合っていた遠恋の人は、本当に可愛い人だな、好きだなと思っていたけれど、いびきがうるさいとか、セックスが合わないとか、そういうしょうもないけど無視できないことが気になって、遠恋ってことは子どもを産むにしても1人で育てるってこと?そこまで自分を犠牲にして結婚とか子どもって必要?って思ってしまって別れた。
そんな風に色々迷っている中で、こんな記事に出会った。
https://business.nikkei.com/atcl/skillup/16/022100017/060100021/
すごくしっくりきた。
そっか、結婚したいくらい好きな人がいたら、その人と結婚すればいいんだ。
で、この人との子どもが欲しいって思ったら産めばいいんだ。
そういう人が現れなかったら、結婚しなかったらいいんだ。
そういうシンプルなことだったんだ。
私は今まで、結婚とか子どもを、私の人生のパーツとしか考えてなかった。
多分それも間違いではないんだろうけど、もっと気持ちに正直ベースで生きていいんだって思った。
今まであまり出会いの場に興味がなかったけど、今年は出来るだけそういう所に顔を出してみようかな。
でも、男の人をこれ以上嫌いになりたくないから、マッチングアプリみたいなことは出来ないな…嫌いというか、怖いのかな。信用できない、が正しいかな。
男って、女のことなんか何も考えてないな〜ってこの歳になって本当に実感したから。女の人生とか、身体とか、そういうものなんて何も考えてなくて、基本的に自分の社会的地位とセックスのことしか考えてない。
まあ男からしたら女も自分勝手だと思ってるんだろうけど。私だって今までパーツのひとつとして考えていたわけだしね。それが言外に相手にも伝わっていたのかな。きっとお互い様なんだよね。相手をパーツとしか考えていない私は、本当に私を大事にしてくれる人には巡り会えないってことなんだろうな。
でも、私は不信感を拭いたい。安心できて、信用できて、本当に自分が好きになれる男の人がいるって、知りたい。
ま、見つからなかったら仕方ないけどね。
でも、子どもを産む女としてはもうお世辞にも若いとは言い切れないから、逆にただ社会的地位や家政婦、トロフィーワイフ、子どもが欲しいだけの男は排除できる…かな…?それ以上は自分に見る目があることを祈ろう。