他人から評価される場面というのは、学校や会社などにおいてものすごく多いな〜と思います。
考えてみると、学校は人間が初めて「自分は他者に評価されている」と感じる場所ですね。
テストの点数、成績表はもちろんのこと、あの子は可愛い、あの子の家は金持ちなど、容姿や生まれなど様々な角度から他人に評価されます。
その後は、ほとんどずっと評価され続ける人生です。
弊社は半年ごとに賞与があり、その時に半年分の評価をされます。
また、一年に一回ランク認定もあります。(リーダー格とか、課長格とか、そういうのです)
自営業やコンペ等がある業種は、評価される回数がもっと多いかもしれません。
もちろん、あの子はエリートと結婚した、あの子の息子は成績がいいなど数字以外の評価もずっと付き纏います。
他人からの評価というのは、自分の努力と比例しません。
努力が報われることもあるし、報われないこともたくさんあります。
それは自分の努力の方向が違っていたり足りないのかもしれないし、逆に評価する側がポンコツなのかもしれません。
人によっては自分になんの関係もない人の評価まで気にしてしまう人がいます。
例えば、すれ違った人にブス!と言われたとしましょう。
でも、赤の他人でなんの利害関係もないその人になんと思われようが、自分にはなんの影響もないんです。
ちなみにこれは、全く知らない人でなくてもほとんど変わりません。仕事でちょっと絡みがある同僚とかね。
それらはただの個人の感想、あるいは八つ当たりかもしれないし、気にするだけムダなのです。
もちろん、自分にメリットがある評価者もいます。
たとえば賞与の評価を決める上司とか、好きな人とか。その人に良い評価をしてもらえれば自分にメリットがある人です。
ただ、それに関しても、そのメリットが自分にとってどれほど重要なのかによって、気にする・気にしないを分けて良いと思います。
たとえば賞与の評価。もちろん給料は多くもらえるに越したことはないのですが、先述の通り努力と評価は比例しません。いくら自分なりに頑張っていても、上司は見る目のないポンコツかもしれません。
そこで考えてみて欲しいのです。
賞与の評価で左右されるのは、外資や管理職でない限りたかだか数万円の世界です。外資であっても数十万円だと思います。
その数万円は、本当に自分の人生において重要なファクターでしょうか。
たとえば、その数万円がなくては食べていけないとか、将来のキャリアの計画が狂うとかそういうレベルのものしょうか。
実は、自分にとって重要なファクターはそんなに多くありません。
たとえば私にとって大事なことは、
食べたいものを食べ、行きたい場所に行き、着たいものを着て、好きな人たちと楽しく過ごす、そういう自由な生活を送ることです。
もしかしたら今後変わることもあるかもしれませんが、少なくとも今の私にとってこれ以上に重要なことはありません。
会社で出世しなくても、モテなくても、そりゃあそうなったらいいなと思いはしますが、それらがなくても私は困らないのです。
ですから、逆にこれを阻害する他人の評価に関しては私も気にするでしょう。あまり具体例が思いつきませんが、価値観を押し付けて自由を制限されること、抑圧されることにすごく抵抗感があるのは、この「自由に生きたい」という思いを邪魔するからに他なりません。
でも、例えば賞与の評価の話であれば、自分がやりたいことをやる時にお金が足りなくなるわけでなければ、多少良い評価・悪い評価をされようがほとんど気にしていません。
他人に評価され続ける人生だからこそ、自分にとっての他人の評価とはどれくらい重要なものなのかを考えておく必要があると思う、そんな話でした。