主に貧困問題について、
自己責任だ、いや政策などの責任であり個人の問題ではない、とどこに責任を求めるのかの議論になっているのをよく見ます。
自己責任というのは難しい言葉だなと思います。
仕組みを作っている側が、システムの欠陥をごまかすために使える言葉だとも思うし、自己責任ではないと言い切ると、それはまたそれで個人の努力の欠如をごまかしているようにも思う。
例えば、日本人全体の給料が下がっているとか、ほかの国は徐々に上がっているのに日本は横ばいだとか、そういうのは明らかに仕組みを作っている側の責任。
家にお金がなく、学力は足りているのに大学に行けず、大卒要件を満たせないので就職に不利、というのも仕組みを作っている側の責任だと思う。
生まれでその後の人生がある程度決まってしまうというのは、つまり国が教育にお金をかけていないせいだとも言えるので。
ただ状況によって、雇用が安定していないとか、入った会社の給料が低いとかは、半分仕組みのせいでもあるし半分自分のせいでもあることがある。
結局自分で「選択」した結果行きついた場所は自己責任だと言われやすいんだよね。
例えば同じ大学に行くのでも、偏差値が高い大学に行った方が当然就職の選択肢は増えるわけで、大して勉強しないということを「選択」した結果、無名の大学に入って給料の高い会社に入れなかったとしたら、それは自己責任と言われる可能性がある。
もちろんいろんな見方があって、東大に入るためにはほとんど塾が必須だから他の大学とは経済的な難易度が違うとか、景気が上がればすべての会社で生活に必要な給料が稼げるはずとかそういう話もある。
でも、ある程度の選択肢があった上で選択した結果行きついた場所だというのは事実なので、自己責任だと言われても仕方ない面もある。
似たような境遇でも給料が高い人がいると、反証のようになってしまってなおさら自己責任に説得力が増してくる。
例えば出産を機に仕事を辞めて、ある程度子どもが大きくなったから再就職したけれど有期雇用だった、というのも半分は自己責任だと思う。
これは私が今リアルタイムで不安に思っていることだからよく分かるんだけど、
育児しながらフルタイムで総合職の仕事をするっていうのはいろんな意味で結構キビシイ。体力的にも、時間的にも。
だから、本当に子どもが欲しければ賃金を妥協しないといけない場面もあると思うのだけど、それは他人から見たら子どもを「選択」したという自己責任なんだよね。
でも、一方で少子化が問題になっているわけで、そういう社会の仕組み自体がおかしいと言うこともできる。これがもう半分。
つまり、この問題は絶対的にどちらかが悪いと言い切ることは多分できないんだよね。
そういう前提に立った上で、自分の「選択」の結果に責任を持ちつつ、一方で社会の仕組み自体を変えてくれよと言い続けないといけない。
仕組みの問題はどう考えても、じゃあ明日から変えるね~と言って変わるものじゃないので、あまりアテにしない方がいい。
もちろん、政府などにはその責任があるけれども、やっぱり自分を救えるのは自分しかいないんだよ。
そういう意味で、自己責任論は「こうなったのは自分のせいなのだから甘んじて受け入れないといけない」という悪い結果の責任所在を示す言葉ではなく、「結局自分を自分の理想の状態にドライブしていけるのは自分でしかない」っていう行動指針であるべきだなあと思いました。