ひとりごと

アラサーOLが、考えたこと、見たもの、食べたものなどを淡々と綴るつまらない日記です

テレビ山口と「普通の男」の炎上で思うこと

テレビ山口で、女性がオイル交換してる!変なの!で取材してみたら、実はその方は男性で、それを「珍!女性のような男性」と放送したことで炎上しているのを見たのですが。

 

‪TVが時代錯誤なメディアっていうのは最近本当に顕著になってきたなーと思う。‬


‪多様性が叫ばれる時代なので、見る方も目が厳しくなってるのはあると思うけど、

テレビは特に男は女はこうあるべきが前提にあったり、マイノリティへの差別的な演出が目につく。‬

 

前は世界の果てまでイッテQとか大好きだったんだけど(特に利益にならないように見える何かを一生懸命やる人が出ていて最高の贅沢に見えた)、

この間久しぶりに見たら40代半ばの女性マネージャーを独身の寂しい女ってことさらに強調して笑いを取ろうとしていて嘆息してしまった。

 

テレビ山口の件にしても、

オイル交換は男性がやるものという謎の性的役割押し付け、LGBTへの偏見、それを面白おかしく世間に暴露する倫理観のなさ、すべてが盛り込まれていた。

 

でも、最近のテレビって割とこんなもんっていうイメージ。

もちろん作り手によるから、全部が全部そうではないけれど、こういうのがとても多い。


‪前はそれが面白かったのかもしれないけど、これじゃどんどん皆テレビ見なくなるよね。‬

 

 

 

まあでも、そもそも問題はテレビ側だけではなくて、

そういう多様性への理解を本当にしている人ってどれくらいいるんだろうと思うことはよくある。

 

もちろん自分も理解できていない可能性はあるんだけど、多くの人は「こういう類のことを言うと怒られるから言わないようにしよう」っていう社会性から多様性を認めてる(ふりをしている)んじゃなかろうか。

 

まあ最初はそんなもので、そうしているうちに本当に偏見や差別がない社会になっていくのかもしれないけれど。

 

 

わたくし個人的には、

昔からスポーツが好きだったり勉強が好きだったり、身長が男性並みに高かったりして、いわゆる「女の子っぽい」人間ではなかった故に、

女がスポーツや勉強をできても可愛くないとか意味がないとか、身長が高い女は女らしくないとか、けっこう偏見の目に晒されて来た人生でした。

 

思春期には、そのことに対してほんのり後ろめたさというか、自分は女として欠陥品だ…と自虐的に考えていたことがあったのだけれど、17〜18歳くらいの時に、

 

ごちゃごちゃうるせえ!!!!

それがどうした?

他人に自分の性別を「評価」される筋合いがあるのか?

ましてやその勝手な「評価」に傷つく必要があるのか?

 

ってふと思ったんですよね。

それから生きるのが楽になったし、自分に自信が持てるようになった。

 

だから、そういう偏見に敏感な方なのです。

自分はLGBTではないけれど、そういう偏見を押し付けられる辛さはとてもよく分かるから、理解しているつもりでいる。

 

 

でも、例えば昨日もプチ炎上しているのを見たんですけど、

「これが女が(結婚相手に対して)求める普通の男だ」みたいなのをまたテレビでやっていたらしくて、

それが長男以外とか身長170センチ以上とか本人にはどうしようもない部分を多く含むしょーもないものだったんです。

 

で、それに対して酷い偏見だ、という意見が大多数だったのだけれど、割と多くの人が「女に同じことを言ったら怒り狂うのに」と言っていたんですよね。

 

あ〜、こんなに色んな多様性が叫ばれている時代なのに、世の中何も変わっちゃいないのかもしれないと思いました。

これは男が女がの二元論じゃないし、男性と女性は敵対者でもないんですよ。

 

単純に多様性を認めよう、性別に対する押し付けをやめよう、というだけの話なんです。

 

それを、男性が辛い思いをしているということに対して、女性がそれを押し付けている、女性がわがままだという結論にしてしまったら、何も解決しない。

 

よく考えて欲しいのは、

仮に長男は忌避されているとして、それはなんでなのかということです。

おそらくですが、「家を継ぐのは長男」→「親の面倒は長男が見るもの」→「義理父母の介護は長男の嫁がやるもの」という複数の役割の押し付けの積み重なりがあるからじゃないでしょうか?

 

長男以外を求めている女性がいるとしたら、その人も偏見に満ちた人だけれども、その上でこれだから女はわがままだという結論に落ち着く男性もまた思慮が足りず偏見に満ちています。要は、同類なんです。

 

 

そういうのを見ていて、世の中で本当に多様性が認められる日は来るのだろうかと思うわけですが、それでも主張していかないと多分何も変わらないんですよね。

だから、こうして世界のすみっこの、誰も見ていないかもしれないブログで、私はちまちまと綴り続けます。