ひとりごと

アラサーOLが、考えたこと、見たもの、食べたものなどを淡々と綴るつまらない日記です

"日本人"という自意識の境界線

最近知りたいなと思っていることのひとつが、

日本人は何を以て"日本人"を定義しているのかなということです。

どうやって日本人という自我を保っているのか、と言い換えることもできるかな。

 

きっかけは、日本人と外国人のハーフ(ダブル、ミックス)の選手の活躍が各スポーツ界で目立つ昨今、「日本人初の◯◯」というニュースの見出しに噛み付いたり、違和感を唱える人がSNSにたくさんいるんだなと気付いたこと。

 

彼らの主張を見てみると、

「日本人の血のおかげでなしえたことではないのに、日本人初というのは恥ずかしい」

「日本人と言われるとなんだか違和感がある」

というような意見が多かった。

 

一つ先に言っておくと、国籍が日本だったら紛れもなく日本人ですし、ハーフ(ダブル、ミックス)のアイデンティティについて論じるつもりは全くありません。

超個人的な意見を言えば、仮に自分がハーフだったとして、片方の国の人に「〇〇人じゃないよね」って言われたら傷つくし、ハタから見てそういう意見を言う人は差別的かつ差別的な自覚がない人だなと思います。

 

ただ、こういう意見を見て、そもそも人によって「自分は◯◯人だ」という自意識の境界線はバラバラなのではないか?とふと思いました。

その自意識の境界線から外に出ている人に対して、自分と同じ"日本人"というカテゴリ分けをされると違和感があると言っているんじゃないかなと。

 

 そうなった時に気になるのが、自意識の境界線がどこにあるのか、その境界線はどうやって作られたのか、ということなんですよね。

 

とりあえず、私が思いつく限りで境界線になりそうなものを挙げてみました。

 
・国籍
========法的な「国民」の境界線
・血縁
・容姿
・氏名
・言語
・文化(箸で食事する、遠慮する、晴れの日に着物を着る、畳の部屋で生活する等)
・居住
・宗教
 
まあ調べようはないんですけど、仮に全世界の人にアンケートを取れたとして、なんとなくですが国によって違う気がするんですよね。
 
例えば日本は民族構成がとても偏っているので血縁や容姿を重視しがちだけど、アメリカはいろんな人種の人がいるからそこまで重視していない、とかね。
逆に世界では宗教によって統率されてきた国が多い反面、日本人は宗教意識が薄いのでこの項目のポイントは低そうだ、とかとか。
 
時代によっても変わりそうだけど、国民の自意識は国の成り立ちに大きく影響を受けている気がする。
 
ここまで書いて思ったけど、こういうのを研究している学者がいるんじゃないかな。
論文とかあるなら読みたいなあ。