ひとりごと

アラサーOLが、考えたこと、見たもの、食べたものなどを淡々と綴るつまらない日記です

幼い頃は子どもと一緒にいた方がいいは親の希望的観測

よく言う、子どもが生まれてから数年間は(母)親が見るべきというアレ、幻想だよねって話です。

 

調べていたら実際その話がプレジデントの記事にもなっていました↓

https://president.jp/articles/-/36711

 

もっと言うと、小学生や中学生などの時に(母)親が家にいた方がいいとか、親は子の受験・習い事のサポートをすべしとかも全部幻想だと思っています。

 

まあ人や家庭によるところだとは思いますし各人の自由ですけれども。実際、スケボーやフィギュアスケートなどの有名選手は親の熱心なサポートに感謝しているという人もいますしね。

でも、さもその方がいい子に育つ、子がいい人生を送れる、それをやらないのは親の怠慢だ虐待だみたいな風潮愚かだな…って思うんですよね。

 

 

これはただの自分の実体験なのですが、うちは自分が生まれた時から両親共にフルタイムで働いていたので、保育園に預けられた後、小学校では学童に行っていて、学童がないとき(夏休みなど)は学校のプールなどに行った後いわゆる鍵っ子をしていました。小学校高学年くらいからは学校で放課後預かりみたいなものが始まって、それに行ってから家に帰って親が帰ってくるのを待ってたかな。ちなみに一人っ子なので一人です。

だいたい母が帰ってくるのが18〜19時ごろだったと記憶しています。(それでも今の自分の勤務時間を考えると頑張って帰ってきてくれていたんだろうなと思う)

母が特別遅くなる時は、母の同僚の方がおうちで面倒見てくれていました。

父は毎日21時以降に帰ってきていたと思います。

 

それで、毎日19〜20時ごろにご飯を食べていました。宿題を見てもらった記憶はないかな。

塾に行き始めたのは中学生になってからだから、小学生の時は放課後友達と遊ぶか、水泳とピアノを習っていたのでそれに行くか、親が帰ってくるまでずっと本を読んだりテレビでサスペンスドラマを見ていました。

 

ここに一切寂しかったとかもっとこうして欲しかったみたいなものがないんだよね…かつて子どもであった、当事者として。

もちろん放置されていたらそう思うこともあっただろうけれども、ご飯を作ったり食べたりする時に毎日学校の話したりしてコミュニケーションははかっていたし、何よりも母が働き続けてくれたおかげで大学まで衣食住に困ることなく学費を出してもらえたことを一番感謝しています。そのおかげで大学でも勉強できて、思い通りの会社に入れて、好きなものを好きなだけ食べたり買ったり、行きたいところに好きなように行く人生を手に入れられた。

 

母は、罪悪感があったと言っているんだけど、本当にそういう風潮を作っている世の中が愚かなだけだと思ってる。

 

だって、親がいない間ずっと本を読んでいたおかげで本を読むのが好きになって、その知識欲もあって勉強は得意だったし、サスペンスドラマを一日3時間見ていたおかげで論理的思考を身につけたし、小学校の放課後預かりなどで毎日友達や監督の先生とバトミントンやドッヂボールなどで遊んでいたので運動も得意だったんですよ。

 

お腹が空いたら食べていいもの(主にパン)は大体いつも家にあったし、母がたまに早番で16時くらいに帰ってくるときは家の近くの大きなプールに連れて行ってくれました。

また、当時は母親がフルタイムで働いている家庭は少なく一人っ子だったのもあり経済的に少し余裕があったので、家族で海外旅行に行くこともあって、その楽しかった記憶やカルチャーショックなどもあって簡単な会話程度ですが英語やスペイン語も勉強して喋れるようになりました。

 

高校まで公立でしたし、すごく教育にお金がかかっていたわけではないと思いますが、私は親にいい人生をもらったな〜と本当に思っているんですよね。

母がずっと家にいた時にどうなっていたかは分からないのでどっちがいいかなんて分かりませんが、母が家にいない間に得たものや母が働き続けてくれたことで得たものを考えると、私は鍵っ子であった人生に全く不満などなくむしろ感謝しています。

 

だから、未だに語られる3歳神話とか家にお母さんがいた方が教育にいいみたいな話に振り回される必要はないと思うという話でした。

私ももし子どもが生まれたら、四六時中一緒にはいてあげられないかもしれないけど、衣食住と学ぶことには困らない人生をあげたい。