ひとりごと

アラサーOLが、考えたこと、見たもの、食べたものなどを淡々と綴るつまらない日記です

ソシャゲ離れの話題に考えるネットリテラシー

Twitterを見ていたら、ソシャゲ離れがトレンドになっていたのですが。

 

そもそも〇〇離れってすごい信用できない言葉だなあって思う。

 

ソシャゲ離れに関しても、大手が軒並み第二四半期のソシャゲ部門減益が根拠らしいのですが、なぜ大手が減益したら全員がソシャゲそのものから離れたことになるんでしょうか

スマホゲー市場はここ5年以上ずっと右肩上がりの市場で、この四半期に突然凹むなんて普通は考えられません。伸びが鈍化することはあったとしても、特に何か法規制などがあったわけでもないのに市場全体として急に落ちるのは考えずらい。

単純に競合が増えて、パイを取り合っていると考えるのが先なのではないでしょうか?

四半期決算発表があったばっかりで、各シンクタンクが今一生懸命データ収集と分析をしている最中だと思うので、市場全体の動きはまだ分かりません。

 

もし市場全体を見て何かしらの要因で(ニュースで紹介されているように「ソシャゲ疲れ」が原因で)減益しているなら生意気いってすみませんでしたなのですが。

 

こういうのを見ると、メディアって本当に誇張というか、ミスリードするような表現をよくするなと思う。

テレビも、新聞も、ネットニュースも、みんな大して変わらない。

その向こうに思想を持ったひとりひとりの記者がいるので、ある程度主観や思惑が入ってしまうのは仕方がないことだけれど、ネットニュースで報じられたことを事実関係も考えず信じてコメントしている人がたくさんいるのを見ると、ネットリテラシーって何だろうと思う。

つまるところ、ソースが云々という本来言われているネットリテラシー的なスキル以前に、大前提として社会を知ること、データの見方のスキルや多角的な視点がないと本当の意味でのネットリテラシーって育たないんじゃないだろうか?

 

 

 

それにしても、ソシャゲ離れを信じて「所詮データだし課金なんてするもんじゃない」という趣旨のコメントしている人がかなりの数いるのは興味深い。

昔からこの所詮データというのはどういう意味で言っているんだろうと思ってました。

別にふざけんな!〇〇ちゃんはデータなんかじゃない!とか言いたいわけじゃなくて、純粋に不思議なのです。

 

「所詮データ」をつまり「物理的に手元に残らない」という意味だと考えると、すなわち無形物(サービスや経験)に対して一切の価値を感じていないんだろうか?

別に旅行に行こうが食事に行こうが何も手元には残らないわけで、そういう全てに価値を感じてないのかな?と思ったのだけど、これはちょっと現実的じゃない。

ひとつの推測としては、例えば人と何かをすること(旅行や食事はその手段でしかない)には価値を感じていて、一人の経験には価値を感じていない?

だとすると、「物理的に手元に残らない」ことに価値がないのではなくて、「親しい人とのふれあいがない」ことに価値がないことになるので、データであること自体は関係なくないか?って思ったりして…

 

まあ考えても詮無きことなんですけど。

所詮データの意味が分かる人はぜひコメントで教えてください。