お前は人を好きになったことがないのかと問われると、
いえ、たぶんあります、という回答になる。
親に元気でいてほしいと思っているし、
一緒にいると楽しい友達もいるし、
彼氏といるのも好きだし、
私は彼らのことを好きなんだろうな~と思ってる。
でも、彼らに対するものが全て愛情の一種であるとして(友情含め)
じゃあ親や女友達に対する「好き」と、彼氏に対する「好き」が違いますかと言われると、
正直よく分からん。
高校生くらいまでの方がもっと単純だった気がする。
異性に対する「好き」はみんな恋だった。
あの子だけにドキドキする!これが恋だ!って思えていた。
それが、大人になるにつれ分からなくなった。
この人のこと好きだな~という気持ちに性別が関係なくなってしまった。
思春期の頃の方が、「男」「女」を意識する機会が多かったのかもしれない。
制服はズボンとスカートだし、イケメンやかわいい子がモテていたし、
男女が一緒にいるとそれだけで冷やかされたりしたから、意識せざるを得なかったのかもしれない。
それが大人になって、
別に男女ふたりで歩いていてもなんら不自然なことではなくなって、
もっとフラットに人と人としての付き合いになって、
この人はこういう人だから好き、という人としての判断基準しかなくなってしまった。
それで、いよいよ分からなくなった。恋ってなんなんだ。
自分から男性に付き合いましょうと持ち掛けたことはなく、
相手から付き合おうと言われて付き合う時、人として好きな人ならいいかと思う。
実際、別れる時は人として不誠実だ、受け入れられないと感じた時で、男性としてどうこうと考えたことはない。
私は恋をしていたかと問われると、分からない。好きだったのは、本当だけれど。
一方で、親や友人には何か月も会わなくて平気なのに、恋人に会えないと不安になる。
それがなぜかわからない。もしかしたら、恋人同士は出来るだけ長い時間一緒にいないとダメだと世間に無意識に刷り込まれているのかもしれない。
それは明確な差だけれど、それが恋だと言われると、恋は不安を伴う好きだということになってしまう。
普通の好きにネガティブなオプションがついただけのものになってしまうから、あんまり認めたくない気持ちがある。
要するに未知のものへのあこがれがあるのかもしれない。
恋は映画みたいなロマンチックなものと刷り込まれていて、自分のそれと結び付けられないのかもしれない。
結局恋が何かも、自分は恋をしているのかしていないのかも分からない。
世間が言う恋と、自分の中にある気持ちが同じものなのかが分からない。
多分一生分からないのかもしれない。
大人っていうのは、分からないことだらけだなあと思う。
昔は、大人になれば世の中の全部が分かるようになると漠然と信じていたけれど、
大人は分からないことだらけなんだなあと分かることが、大人になることなのかもしれないな。