ひとりごと

アラサーOLが、考えたこと、見たもの、食べたものなどを淡々と綴るつまらない日記です

なんでセックスをしたくないのか考えてみた

新しい彼氏が、「セックスをしたくないなら最悪、しないでもいいよ」と言ってくれて、多分私はそのことがかなり嬉しかったんですよね。

とはいえそのうちするだろうとも思うのだけど、アラサーの男性でそれを建前でも言えるって、結構すごいことだと思ったから。痩せ我慢だったとしても、自分のことを考えてくれてるって感じたから。

 

今まで、男性と付き合ったらセックスをするのは義務だと思っていて、私がやりたかろうがやりたくなかろうがしないといけないものだと思ってた。

で、前の彼氏と別れた要因のひとつにセックスのことを挙げましたが、リターンがほぼゼロで義務でやっていることに対して、追加であーせいこーせい言われたことでもうやだ!と自分の中で徐々に降り積もっていた不満が爆発したんだろうなと、振り返ってみて思いました。

まあ結局相性が悪かったってことなのかなと思うのですが、とにかくもうセックスなんかで人と人の関係が崩れるくらいなら最初から無いほうがマシだ!と暴走するくらいには嫌な思い出になったわけです。

 

セックスがうまく行かないことで起こる問題を避けたいからセックス自体をしたくないんだ!という理論はともかくとして、なんでそもそもセックス自体をしたくないのかというと、大して気持ち良くないしところどころ気持ち悪いし痛いからなんですよね。

正直私は恥ずかしいという感情はあまり無いのですが、挿入されて気持ち良かったことが、2回くらいしか無い。母数は数十回、3桁は無い気がするけど、まあとにかく一桁%ですよ。

で、前戯はまあ半分くらいは気持ちいいけど、半分くらいは気持ちよくないんです。指入れられて気持ちいいと思ったことなんかゼロです。でも、指入れないと本番が余計痛いからやらざるを得ないという。

気持ち悪いというのは、男性が汗をかいてきて、その汗ばんだ肌に触れるのが気持ち悪かった。汗ばんだ肌なんか自分のでも気持ち悪いのに、ベチャッと触られるたびにうわぁと思っていた。

そうなってくると、もうセックス1回における気持ちいいと痛いのバランスって後者の方が大きくて、なんならそこに気持ち悪いもプラスされて、嫌な思い出の方が勝っちゃうんですよ。

そんなところに、声出せとか、お前も頑張れみたいなことを言われて、もう無理!!!ってなってしまったということかな…と他人事みたいに考えていました。

もしかしたら回数をこなしたらどんどん良くなったのかもしれず、結果がついてくる可能性があるなら最初の方は根性でなんとかなったかなとは思うのですが、直近は遠恋だったのもあって、するにしても数ヶ月に一回とかだったので、そんな頻度で慣れるわけないんですよね。でも男の側は慣れとか関係ないので「反応してよ」なんて言いだす。ふざけんなって気持ちになったんだと思います。

 

あと、多分ですけど、セックスに関する自分の才能の無さをその度に知らしめられるのも嫌だったのかもしれない。

きっとセックスが気持ちいい女性も世の中にはたくさんいて、羨ましいと同時に、うまくできない自分を突きつけられることが嫌だったのかもしれない。

 

そうなってくると、もう全部嫌になってくるんですよね。男だったら多分痛いとかないよな〜頑張らないといけない、気持ちよくさせないといけないというプレッシャーはあるかもしれないけど、少なくとも痛さはないし、基本的には気持ちいいで終われるよな〜と。そこでまた中学生からの悪癖が出てくるわけです。何で女に生まれちゃったんだろう、男に生まれたほうが自分には向いてたのに…。。。

 

要は、セックスをしても何にもプラスにならないというのが自分の中に刻まれているんですよね。気持ちよくない、気持ち悪い、痛い、気持ちよさそうな声を出さないといけない、濡らさないといけない、才能がないのに行為がうまく行っているように見せかけないといけない、女だからこんなコンプレックスを感じないといけない、もう全部義務、義務、義務なんですよ。

 

でも、男性はセックスをしたいものじゃないですか。特に自分と同年代くらいの男性で女性と付き合おうと考える人は、まだ全然性欲がある人が多いと思うんですね。

で、こっちはこっちで結婚や子どもという可能性を残したい。今すぐ直ちに!というわけではないけど、方向性として模索したい。そうなってくると、嫌でもやるしかないか…とギブアンドテイクの精神で受け入れようとしていたわけです。

 

そんなところに、最悪嫌ならいいよ…!と捻り出してくれて、「それって、男側のスキルの問題じゃない?俺も別に自信があるわけじゃないけど、それを棚に上げて女性側に反応を求めるのって違うよね」と言ってくれて、なんかうれしーな。。ありがと。。という気持ちになったという、そんな話でした。

 

セックス、克服できるといいなぁ…。

付き合い続けることにした

今日元同僚の彼氏(2週間)と会ったので、結婚も子どもも可能性がない人とは32〜33歳の今付き合いたくない、そういう生き方自体を否定するつもりはないから、お互い合う人を探した方が幸せだと思うって話をしたのですが、結論一旦付き合い続けることになりました。

 

まず、その話をしたら、「俺もこの2週間そのことについて考えてたんだけどさ…」と。考えてたのか。95%別れるつもりだったけど、それなら話を聞こうじゃないか。

 

・結婚や子どもに興味はないと言ったが、下手にカッコつけて自分ダサいなと先週ふと思った

・今までの彼女との付き合いでそれを考えていなかったのは本当だけど、きみに対しては結婚や子どもを考えている自分に気づいた

 

なんか、今口から咄嗟に出た方便ではなさそう。

 

・セックスが嫌なら、最悪しなくてもいい。自分はしたいけど、きみに嫌な思いをさせてまでしたいわけじゃない

 

そこまで言うのか〜…

 

まあ要は、最初はアラサー女に対して予防バリア張ってたけど、よく考えたら悪くないかもと思ったし、別れるくらいならセックス我慢するわと。

なんかそう言われると…不満に思っていたポイントがほとんどなくなってしまう…。

強いていうなら常時割り勘くらいだけど、まあそれは入りの話で(片方はデートのつもりでなんなら付き合いたいと思っていて、片方は友達のつもりなら、時間の価値が違うんだからデートのつもりの方が奢れよとは思っていた)今となってはそこまで気にならないしな…

 

というわけで、まあ口だけという可能性もなきにしもあらずなのでまだウォッチはしますが、一旦別れるのはやめました。

 

さて、今後どうなりますことやら。

割り勘に対して思うこと

メモ程度に。

 

正直私は欲しいものは自分で買えるし、男性にお金を出してもらわなくても全く困りはしていないのですが、常に割り勘で恋愛対象として見てくれーってすごいなと最近思いました。

 

デートって「デート行こうよ」みたいに誘われるわけではないので、基本的に男性と2人であっても友達のつもりで行くことにしています。向こうがどういうつもりか分からないし、自分はわざわざそういう雰囲気に持っていく必要がないので。

で、友達とだったらまあ割り勘じゃないですか、当然。だから、支払いの時にいくら?って聞いて、半分出すようにしてます。

 

そこで、いいよ今回は俺が出すよ、俺が誘ったんだし。って言われると、あっもしかしてデートのつもりだったのかなと思うし、じゃあ次カフェとかランチ(つまり今回より安いところ)行こうよ、そこ出してくれる?とか言われたら、この人それを口実に私と会いたいんだなーって思うわけです。

 

でもそこで普通に半分出して、なぜか何回も誘ってきて、ある時告白されたりすると、この人デートのつもりだったんかいー!ってびっくりするんですよね。

割り勘ってさ、その時間の価値が平等な前提だと思うんですよ。だから、お互い両思いだって分かりきってる男女だったら理解できるんですよ。お互い会いたいだろうしね。

でも、片方が好きな状態だったら、時間の価値って同じではないじゃないですか。その状態だって分かってるのに相手にも出させるってすごいなと…

 

と、今日別れようと思ってる元同僚の一歳下の彼氏(付き合って2週間)の話でした笑

今まで付き合った人で100%割り勘ってなかったのでびっくりして、まあ別にお金に困ってるわけじゃないし給料も同じくらいだろうし歳も変わらないしいいけど…って思いながら飲みとか付き合ってたけど、いやそんな毎回お金出すほど彼との時間に価値感じてなくない?って我に返りました笑

別に毎回友達と飲むのに時間の価値!とか考えているわけでは当然ないのですがね。久しぶりに会う友達なら久しぶりに会うということ自体に価値があるし、友達とお酒を飲む時間そのものが人生って感じもするし。でも、彼氏って頻繁に会うじゃないですか。そうするとその人と会うこと自体に意味がないといけないんですよ。

 

まあ振り返ってみると、彼が私に告白してきたのって当然っちゃ当然だなーと思っています。だって結婚も子どもも欲しくないって宣言していて(後から女にギャーギャー騒がれても俺は最初からそう言ってたって言える)、割り勘でも怒らなくて、見た目も性格も好みで、もう同僚でもないから面倒ごとにもならなくて、セックスできたら丁度いいよねって。

でも私からしたらすごく会いたい!ってわけでもない人としょっちゅう会うのに毎回お金払って、結婚も子どもも可能性がなくて、大して好きでもないセックスも許容しないといけないというメリットのない存在なので、もうやめよ〜と、そういうことでございます。

 

よく奢り奢られ論争ってあって、あんまりじっくり考えたことなかったんですけど、今回初めて自分がその立場になってちゃんと考えました。

「女の人は化粧とか服に金がかかってる」「女の方が一般的に給料が低い」はまあ自分が男性だったら女性を誘う時に考慮しなければいけない部分だなとは思いつつも、女の自分としては男性に出して欲しい理由にはつながらないなと思っていたんですよ。

それなら、飯も奢らないくせにホテル行けると思うなって話の方がまだスッと入ってくるなと。これに対する割り勘肯定派の意見として「飯代で体売ってるってこと?」っていう短絡的なものがあるのですが、大半の女は飯代ごときで大して好きでもない男と寝ないと思います。でも、最初っから男と女の寝たい欲が釣り合うことってなくて、絶対に男の方が鼻息荒いんですよ。その差を埋めるための飯代だよなと。

男と女の好意というか寝たい度が5:5なら割り勘でいいと思うんですよね。でも大体、特に最初の方は、7:3くらいなことが多いと思う。付き合っていてもそうだと思う。男は大して好きでもない女でもチャンスがあれば寝たいのでしょうが、女って特に若い頃はそこまで性欲強くない人が多いので、これが逆転することってあんまりない気がしています。

その時に奢りなわけですよ。寝てもいいけど、積極的に寝たいってわけでも。。という時に、色々奢ってもらったりすると、自分との時間にそれだけの価値を感じてくれてるんだな〜じゃあ寝てみてもいいかとなるわけです。なので、飯代で体売るは当たらずとも遠からずなのですが、そもそも10:0から始まっていたとすると飯代ごときでは到底埋まらなくて、7:3に持っていくのが口説くという行為で、それを6:4とか5:5に持っていくのが奢りという行為なんですよね。

 

寝る寝ないという即物的な例えで話しましたけど、なんでも一緒だと思います。ちょっといいなと思ってるけどそこまで…というものに対して、経済的なお得感が出ると決断できるというか、納得できることって、日常生活でもあるじゃないですか。スーパーの魚でも一緒です。食べたいけどこの値段じゃなー…って思ってるところに20%値引きシールがついたら買っちゃうみたいな。奢りってジェンダーとか年齢とか抜きにして考えるとそういうことだよなと。

と、考えた夏の暑い日でございました。

やっぱりやめる

先日、同僚から告白されてまあ付き合ってみるかーって話をしたばっかりなんですけど…

一応付き合うという体をとった2週間、全然楽しくなかった。で、何が楽しくないのかと考えると、やっぱり未来がない関係だからだと思いました。

 

彼は、まあ絶対にしたくないわけではないけど、基本的には結婚はしなくていいと思っている、子どももコスパが悪いので欲しくないという人で、すごく共感はできるものの、私は彼よりも少し結婚とか子どもに対して希望を持っているんだなということがよくわかりました。

今年私は33歳なのですが、5年後とか6年後ならもう子どもに関しては半分諦めの気持ちになっている気がするし、結婚はしようと思えばいつでも出来るので彼とも付き合えたかなーと思いつつも、まだ全然可能性がある今付き合う人ではないなと。

なんというか、彼と付き合っていることに対して「間違ったことをしている」という感覚が常にすごくあって、好意はあれど別にそこまで好きなわけでもないし、恋愛がしたいわけでもないし、関係を継続する意味が無いなと実感しました。

 

先日働く女たちが結婚しない理由がよくわかるという記事を書きましたが、あれも本当の気持ちです。

仕事を辞めないといけない、仕事をしながら夫の分も家事をしないといけない、という負担が増えるだけならしたくないのですが、付き合った先にもしかしたら結婚するかも?もしかしたら子どもをもうけるかも?という未来がない関係は、今の私にとっては重荷にしかならないと実感しました。会ったり話したりしていても、「でもこの人と一生いることってないんだよな」と思ってしまって、大切に出来ない。

親とか親友とかって、基本的に切れる関係じゃないじゃないですか。だからこそ気も使うし、気を許すわけで。それが、何年後かはわからないけど絶対に関係がなくなるよねという関係性の人に対して、私は優しくできない人間だということが分かりました。

 

お互い結婚するかもね〜子ども作るかもね〜と思いながら付き合って、結果として相手か自分か両方かは分からないけど合わなかったねってなるのは仕方ないと思うし、その結果に対してブーブー言うつもりもなく、そうやって過ごした結果未婚や子なしの生涯になったとしても後悔はないのですが、自らその道を大事な時期に邁進するのは違うなと思いました。

 

…ということを、今週末に伝えようと思います。

やっぱり、何事もやってみないと分かんないね。付き合うまでに色々考えたけど、こんなに楽しくないとは思わなかった。実際やってみて自分がどう思うかはとっても大事。

働く女たちが結婚しない理由

私は東京の会社で総合職として働くアラサーなんですが、当事者なのでこの世代の働く女たちが結婚をしたがらない、子どもを産みたがらない理由がよくわかります。


いまアラサーの女ってたぶん男尊女卑的な社会を浴びてきた最後の世代なんです。女の学歴は必要ないとか、はっきりものを言うと「可愛げがない」「嫁の貰い手がない」とか学生時代に言われてきた世代。就職する時にナチュラルに男の方が有利(総合職の採用数は男の方が多い、女には一般職への転向を勧める等)だった世代。

そういう、女だからという理由で理不尽を飲み込んで男社会で戦ってきた女たちって、男好きする女(大人しくてボクのいう事をきいてくれそうで、家のことは全部ニコニコやってくれて仕事を頑張っているボクを癒して褒めて世話してくれて床上手な女)を無邪気に評価する男を心底軽蔑してる。女を舐めてるから。ひとりの人間ではなく、「ボクの補助係」としてのパートナーを求めてるんだろうと思うから。


なんなら、こっちが「家のことは全部ニコニコやってくれて仕事を頑張っている私を癒して褒めて世話してくれて床上手な男」を欲しいくらいなわけです。だって女に学があっても…とか、可愛げが…とか言われて評価されなくても家のことをやりながら勉強して、自分の偏差値に合う大学に進むことを説得して、狭い総合職の採用枠を勝ち取り、会社の飲み会でキャバクラみたいな真似をさせられながら頑張ってきたわけです。

(もちろん人によるとは思いますが)昔から勉強や運動が出来たらすごいすごいと純粋に褒められて、進学もレベルに合うところを当然のように受験させてもらえて、家のことは母親が全部やってくれて、より給料の高い採用枠が多く用意され、ホストみたいな真似をして年上の異性への接待を強いられずにここまで来られたであろう同僚の男たちより自分の方が頑張ってきたくらいに思ってるわけです。

それでも、「家のことは全部ニコニコやってくれて仕事を頑張っている私を癒して褒めて世話してくれて床上手な男」がいいな〜なんて浅ましいって分かってるから言わないんですよ。だからこそ、それを躊躇いなく口に出す男を軽蔑している。


そういう努力と葛藤がある中で、(今までのニッポンの夫婦像と同じように)男のケアまでやって当然という空気を作られたら、じゃあ結婚なんてしなくていいやとなるんですよね。

子どもを産むことが、今までそうやって頑張って築いてきたもののストッパーになるのならいいやとなるんですよ。


だから、逆に自立した女を評価する男性は、自分の努力を理解してくれているようで好意を持つんですが、数は少ないです。

で、結局モノ言う女を評価していても、結婚や育児となるとそういう男たちも「まあ最終的にはボクに合わせてくれるでしょう」と考えがち。

苗字を変えるのは女性側だよね、転勤する時はついてきてくれるよね、そういう風に自然と考えている男の人は、女の人の自我を尊重している人でも、たくさん居ます。女が女であるが故に払ってきた犠牲を、当然のことだと思っている。当事者じゃないんだから当たり前なんですが、女が自立するに至る努力の大きさを測ることはとても難しいわけです。

頑張ってきた女たちは、そういう「女が女であるが故に払う犠牲」に無頓着な態度が垣間見えると、それだけで失望してしまう。


結婚って、人間という種の存続、政府という国家組織の存続に必要な制度なわけで、たぶん今までって誰かが何かを犠牲にして成り立ってきた仕組みなんですよ。

男の人だって、家長という地位と引き換えに家庭を支えるプレッシャーと戦ってきたんでしょうし、女の人は自我を殺して周りの人間に尽くしてきた。要は、男も女も人間社会の営みの歯車になってきたと言えます。


でも、「個」が最盛の時代になり、男だからって家を1人で支えないといけないのおかしくない?(女にも家計の責任を負って欲しい)、女だからって自我を殺したくない(男にも他人のケアをして欲しい)という考えが顕著に出てきて、部分的にそれが可能な社会になったが故に、お互いどこまで歩み寄れるかという擦り合わせから始まるようになったんですよね。それが擦り合えば結婚や出産にたどり着くけど、擦り合わないならしなくていいやと。

今まで男女がお互い無言で飲み込んできたマイナス前提を無条件に受け入れるのをやめて、擦り合わせというワンクッションを挟むようになったから、結婚や出産をする人が減ったんです。

 

2023年時点でハタチくらいの若者たちは、既にこういうステレオタイプから解き放たれている…と思いたい。

パートナーを作ること自体は悪くないんです。リスクヘッジにもなるし、精神的にも安定する。でも、それが男女間の話となると、途端にビジネスと違って相手に自然と不利条件を求めてしまうから問題なんです。

 

男女でWin-Winの関係が築けるようになると結婚する人も増えるよねという話でした。

どうなるんだろうね

前に話していた、元同僚の男性とまぁいいかーと思って付き合い始めました。

一つ下で、学歴とか年収とかもまあ似たようなもんで、お兄さんが障がい持ち(だけど親と話して自分は面倒見たりはしない)らしい。

すぐダメになるような気もしますが、一応いろいろ(趣味、恋愛や結婚への意欲等)話した上で納得してくれたので付き合ってみようかなと。

 

それにしても、正直セックスにはあんまりいい思い出がない(別に嫌いでもないけど)ということを話したら、かなりウーーーンとなってたのでやっぱり男性にとっては大事なことだよね。そらそうか。拒否するつもりもないけど、セックスがつれーとなったらまあまた別れるわ。

そういえば結婚相談所とかってさ、セックスなしで成婚退会?するんだよね。その前提だと、結婚相談所はやっぱり私には無理かもしれん。

 

変な男と結婚するくらいなら、独身の方が多分全然いい人生だよねって最近改めて思ったので、まあ気楽に行きます。

子どもが欲しい理由について考える

全員がこの2択に当てはまるとは全然考えてないんですけど、なんとなく思うのは

 

①自分の人生やり直し欲

②自分の人生再生産欲

 

このふたつのどっちかがあって子どもを作ったり育てたりしている人はけっこう多いんじゃないかな〜ということ。

前者は自分の人生に満足がいかなかった人やあったかもしれない別の未来に未練がある人、後者は自分の人生に満足していて、こんな楽しいことを自分の子どもにも体験させてあげたい!という人。

 

まあでも正直どっちも子どもにとったら迷惑な話だと思うし、健全ではない気はします。いわゆる毒親思考な気がする。

 

多分一番素晴らしいのは、子どもには子どもの人生があり、子どもを産み育てる自分たちには親としての体験や喜びが与えられている、という考え方なんだけど、果たして自分が親になった時にそんな聖人な考え方ができるのかは謎。人間社会の営みの犠牲になっていると考えてしまいそうな自分が怖い。

でも、30代も後半になるとフツーの人間って生きる気力をフワッと失う気がしていて、そういう意味で子どもが活力になるのかもなーって思った。

だってさ、私は今までの人生や今に満足していて、結構今って完璧な状態だと思っているんだけど、だからこそ今死にたいなと思うことがたまにある。(当社比)美しくて、聡明で、自分を好きなうちに死にたいんだよな。

でもそれって、醜い生があるという自分の価値観を反映していることと同義で、なんかそれはそれで自分を嫌なヤツだなと感じるところもある。

でも、(当社比)これから先の人生で今よりいい状態になるのが想像つかないんだよ。

なんとなくそういう感覚がいろんなひとのなかにあって、それで子どもを産むのかなという気は少しした。その気持ちは、分かるなぁ…。